EWEウェブニュースNo.320 (2019-14) 2019-07-24 寄稿

◆矢幡明樹(1966電気工学科卒)会員から下記の寄稿をいただきました。

「制約が生んだ浮世絵の技術 」
1966電気(修)矢幡明樹  

私は浮世絵が好きで、展示会があると見に行くし、浮世絵の画集もかなり持っている。浮世絵は世界に誇れる日本の文化で、特に錦絵とも言われる多色・多重摺り木版画の高度な技術は他に類例のないものである。しかも、美人画、役者絵、風景画から春画まで対象のジャンルは広い。浮世絵版画はプロデューサーとしての版元と絵師、彫師、摺師の共同作業であるが、絵に彫師と摺師の名前は出てこない。これは、絵師は芸術家としての位置づけなのに対して彫師と摺師は職人の位置づけであったためであろう。  

さて、浮世絵版画の技術は初期の単色のものから錦絵に徐々に発展してきたが、江戸末期に大きく影響を与えた事件があった。それは水野忠邦による天保の改革である。ここで贅沢の抑制を目的とした出版統制令が出された。浮世絵でいえば、当然ながら淫らな絵は禁止であるし、高価な絵(高度な技巧をこらした絵)も禁止で、1枚16文以下(そば1杯分くらいの値段)と決められた。そして摺りは8色が限度となった。これにより、美人画・役者絵などの多彩で華麗な浮世絵が作れなくなり、版元、浮世絵師たちは大いに困った。そこで、同じ色数でもっと多色の効果を出す方法を工夫した。重ね摺りや各種のぼかし技法などが開発された。ただ、広重の風景画には天空の部分に「一文字ぼかし」(空の最上部の一直線の青が下方に徐々に薄くなる)が使われているが、これは統制令が出る以前からあった技術である。  

制約の範囲内で技術を進歩させるのとは正反対の考え、つまり制約を大幅に破ることでの技術の進歩もあった。それは春画の世界である。当然ながら春画は厳しく禁じられていた。この禁じられた分野の版画を作るのに色数の限度を護ることは無意味である。したがって数十回摺りなど非常に多数の色と細密的な彫と摺り、また新しい技術を使った春画が作られた。勿論、これらは秘密出版であり、金のある商人や大名や旗本のような上級武士などがこっそり買った。絵師、彫師、摺師は春画に最高の技術をつぎ込んだ。このような訳で、春画が技巧的に最高度の浮世絵となった。  

このように何か制約があると、その制約内で、あるいは無視するほど大きく乗り越える努力がなされ、技術が発展する。これは一般的なテクノロジーの世界においても同様である。オイル・ショックにより省エネ技術が進歩した。制約は技術進歩の母ともなる。

以上