EWEウェブニュースNo.324(2019-18) 2019-10-02 寄稿

◆矢幡明樹(1966電気工学科卒)会員から下記の寄稿をいただきました。
       
「劣等感と優越感:必要不可欠なもの」

人が進歩したいとの意欲を持つ動機として大切なのは「好奇心」と「劣等感」だと私は思ってきた。「好奇心」は他人と無関係な個人的な心の動きで、「発明」や「発見」の種である。「劣等感」は他人との比較によって生まれる感情で、「劣等感」は進歩への強い意欲にもなる。
 実は、「劣等感」について深く考えさせられる切っ掛けがあった。それは中学の同期の数人の集まりで、中学時代には全然知らなかった女性から身の上話を聞いたことである。彼女は自分の経歴を淡々と話した。父親は戦争で行方不明で、二人の妹もいて、「何しろ貧乏だった」そうだ。それで中学を卒業したら、働いてお金を稼がなければならなかった。私達が中学生の頃には、貧しくて高校に行けない子供が多く居たのだ。中学卒業後、彼女は縫製をする会社に入り技術を向上させ、少しでも給料の高い会社に、と2度会社を移った。そして、上司の理解を得て、夜学の高校に行くことになる。そこでも頑張って、トップの成績を納めたそうである。結婚して子供が成長後に勉学の意欲が沸き上がり大学に入り、そこでも良い成績をあげた。彼女が中学卒業時に進学を諦めて働き始めたころは、多分家計を助けることに夢中で、劣等感を意識する余裕もなかったであろう。しかし、何年か働いている中で学歴の障碍にぶつかるうちに、「学歴が他者に劣っている」との「劣等感」と「知的好奇心」により、努力を積み重ねて行ったのであろう。「劣等感」をやる気にブースト・アップするのは「負けじ魂」とか「負けず嫌い」の性格である。彼女の話し方に自慢たらしいところは少しもなかった。「劣等感」は「謙虚さ」をももたらしたようだ。
  「劣等感」の反対は「優越感」である。「劣等感」も「優越感」も言葉としてはマイナス・イメージが強い。しかし、この二つは人生において重要な心持の種子にもなる。二つとも表に出すものではなく、心に秘めて置くべきものである。場合によっては心の深層に無意識的に存在する場合もあるであろう。「劣等感」についてはすでに述べた。「優越感」で言えば、他より優れている能力を認識することで、生きていく上での「自信」をもたらす。「優越感」を持てる環境や才能を持った人はノブレス・オブリージュ的な観念を持ち、実行していくとよい。それにより、周りのためになるばかりでなく、内なる「優越感」も満足させられる。
 蛇足であるが、早稲田の学生には入試においては「劣等感」と「優越感」を両方体験した人も多い。心の中の「劣等感」と「優越感」を飼いならして成長していって欲しい。 


以上