EWEウェブニュースNo.273 (2017-09)2017-05-19
トレッキングで見たネパールの電化状況の変化
1966電気(修)矢幡明樹
私が最初にネパールに行ったのは昭和63年4月で、それから10回ほどネパールを訪ねた。地方に電気が通じて行く過程を何となく見て来たので、それを振り返ってみたい。
最初の訪問時にはカトマンズなどの大きな都会にしか電気は来ていなかった。近年は行くたびに、電化状況が改善されていることが分かる。平成16年に中部ネパールのアンナプルナ方面に行ったとき、登山ルートの沢筋に木造の6畳ほどの小屋を見かけた。小屋の中には直径60cmぐらいの発電機が置かれており、小屋の上部から流れる急な滑滝に沿って、直径10cmもない導水管があった。この発電小屋から30分ほど登ったところにトレッ
カー用のロッジが3軒ほどあって、発電された電気はこのロッジに提供されていた。
平成18年には久しぶりにエヴェレスト方面に行き、シェルパ族の故郷と言われるナムチェバザールに泊まった。もうその時は、押し寄せる観光客のためのホテルやロッジが随分と増えていた。谷を遡ったところに発電所ができ、そこから電気が引かれていて、夜になると村中に電燈の灯がともった。電線は盗難を危惧して(とガイドが言った)地中に埋められているので、空中に邪魔な電線がなく、ヒマラヤの山々がすっきりと見えて美しかった。
平成27年には中部ネパールのマナスル峰の西麓に行った。カトマンズからバスで1日掛け、さらにそこから、川沿いに4輪駆動車で登って行くと、中国の援助による工事中の発電所があった。ダムの高さは10~15mぐらいで、ダムの脇に3階建ての建物があった。ダム式発電所ではないと思われ、また上からの導水管も無かった。さらに上流の高みに登ると、はるか下の河岸に別の発電所の建物が見えた。そこには300m以上は高度差で山腹から導水管が下りていた。残念ながら、1年前の大地震で水路が壊れ、稼働を止めていた。現在、ネパールでは自力で、または外国の援助を受けつつ、電化地域が広がりつつある。
NHKの「新日本紀行」で、福島県の秘境の桧枝岐村では明治時代(だと思った)に村人が資金を出し合い、自分たちの発電所を造ったことが紹介されていた。明治時代の日本の電化の広がりは現在のネパールに似ていたのではなかろうか。
以上