EWEウェブニュースNo.314(2019-08)2019-03-05

寄稿 「錯覚と思い込み」          1966年電気(修) 矢幡明樹  

矢幡明樹(1966電気工学科卒)会員から前回の内容に関連した下記の寄稿をいただきました。  
錯覚の例としてよく取り上げられる図がある。ここでは図を表示できないので言葉で説明せざるを得ないのだが、次のようなものである。 A図は<部と>部の中央の突端部を直線で結び、<――>のようにしたもの(ここでは隙間が空いているが、隙間を無くしてみて下さい)。
B図は>部と<部の中央の突端部を直線で結び、>――<のようにしたもの。 A図とB図の中央の直線部を同じ長さにして、二つの図を並べておくと、錯覚によりB図の直線部の方がA図の直線部より長く見える。  ここで、少しいたずらをして、B図の直線部の方を僅かばかり長くして、「二つの図の真ん中の直線部はどちらが長いか」と訊いてみる。 「A図」と答えた人は眼科医に診てもらった方がよい。「同じ」と答えた人は物知りであるが少しおっちょこちょいかもしれない。
つまり、錯覚の例を知っていて、「同じ」と思い込んだのである。「B図」とすぐに答えた人は錯覚の例も知らず、感覚に従う素直な人かもしれない。 じっくりと見て、場合によっては計ったりして「B図」と答えた人はすごい人である。錯覚の例を知っていたが少し違和感を持ち、すぐには答えずに慎重に見たのであろう。 何でもすぐには信じないで、場合によっては猜疑心の強い人かもしれないが、真理を探求する科学者や研究者向きであろう。   さて、「錯覚」とは「理性」が「感覚」に裏切られることであり、「思い込み」とは「理性」が「記憶」または「記憶に基づいた認識」に裏切られることであろう。「錯覚」は「感覚」がそのように訴えるのであり、理性で修正するのは難しい。しかし、「思い込み」はもともとが「記憶」とか「認識」の産物であるので、理性的な判断や検証で修正可能なものである。 「思い込み」の一段前の状況に「思い違い」がある。政治家の「思い違い」(と本人は言う)はいつも自分が得をするような「思い違い」ばかりである。 嘘でなければ、「思い違い」には「こうであって欲しい」という心理が働くのかもしれない。 「思い違い」や「思い込み」がないように理性的な判断力を磨きたいものである。 以上